お金が欲しいなら与える人になれ
新約聖書にも与えよ、さらば与えられんという言葉があるように、与えることで与えられる人になるそうだ。
でも一体誰に何を与えれば何が与えられるのかがさっぱりわからない。
おそらくこれは論理的に解決するのは難しそうだから、今回は精神論気味に考えていこうと思う。

何を与えれば良いのか

一般人が持っているものといえば、金・物・心といったところだろうか。

お金を与える

まず金を与える場合、自分の給料から10%を寄付しろと言われるが、日本人には寄付をするというのはドブに捨てるくらいの感覚しか持っていないのではないだろうか。
確かにお金を寄付したところでおそらく寄付された人からお金が返ってくることはほぼないだろう。
ではお金を与えることに何の意味があるのか。
それは心が澄まされるということだと思う。
人間はお金欲しさについ悪の道に染まってしまう。
わずかなお金を取り合うのである。
もし、お金を寄付するような心を持っていればわずかなお金に執着することはなくなり、浪費をすることもなくなり、お金がなくとも豊かな人生を送ることができるようになるだろう。
精神論を述べると宗教っぽくなるが、実際に新約聖書に書いてあることだし仕方ない。

物を与える

お金がなくても物を与えることはできるだろう。
近所のおばちゃんはなぜあんなにお菓子をくれるのだろうか。
お菓子が1つ100円だとしたら、おばちゃんは今までにいくら損をしてきたのだろうか。
そこにはお金で損する以上のリターンがあることをあのおばちゃんは無意識に知っていたのである。
物をあげることでも人の心はきれいになり、人との関係も良くなる。
彼女の誕生日に3万円の現金をあげるのと、1万円の物をプレゼントするのではどちらが良いだろうか。
3万円の現金をあげたら、その後、口も聞いてくれなくなるだろう。
アフリカの貧困の人々にはお金を寄付するが、身近な人には物をあげると良いのである。

心を与える

上記の2つも間接的には心を与えていることになるが、お金も物も与えなくても心だけを与えることができる。
例えば、ベビーカーを押しているママが階段から降りるのを助けてあげたり、高齢者に電車の席を譲ってあげたりすることだ。
彼女らに対してはお金も物も与えていないが、はっきりと心が与えられているだろう。
自分の体力や時間を失ってしまうが、良い行いをした後の気分は気持ちが良い。
普段から良い行いをしていると、ビジネスの場やデートの場など、肝心な時にも良い行いをすることができ、結果的に良い評価をもらうことができる。

誰に与えるべきなのか

少し上述したが、誰に与えるのかは以下の通りに分けることができる。
金:知人ではなく、距離も離れている人
物:知人
心:距離が近い人
お金を寄付するという行為はアフリカの難民にとってはとてもありがたいことだが、知人や近くで困っている人にいきなり現金を与えるのは好ましくない。
もちろん喜びはするのだが、お金は無機質なので、心の部分までは届かない。
デートの相手なら売春婦と思っていると思われ、知らない人に渡せば戸惑いを与えてしまうだろう。
知人や距離が近い人には現金を渡すべきではないのだ。
距離が近い人にいきなり物を渡すのも警戒されてしまう。
「なぜいきなりまんじゅうなんかくれるんだろう。この人裏があるわ。」
と思われてしまう。
距離は近いが知らない人に対しては、お金でも物でもなく、心を与えるべきなのである。

何が与えられるのか

適切な場面で適切に与えたことで、一体何が得られるのだろうか。
何度か書いたが、きれいな心である。
きれいな心があってもお金が増えたり、大きな家に住めるわけではないのかもしれない。
ただ、人に信頼され、人生の幸福度をあげるのに役立つはずだ。

まとめ

これを書いていて思ったが、寄付してもムダという考えは改めた方が良いと思った。
日本人のほとんどは明確な宗教観を持っていないが、宗教観を持っている人(シスターなど)はやはり与えることが大事であり、多くを求めていないようにも思える。
このGIVERというのは単なる宗教観の一つではないということも統計から証明されている。
世のお金持ちと呼ばれる人たちはGIVERが多いのだそう。
GIVERというのは、無償で提供しているにもかかわらず、お金持ちなのである。
この原理はよくわからないが、結果が出ているのであればやってみるしかないのではないだろうか。