付き合うという文化は不要である

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日本の若者向け恋愛映画には、
「付き合ってください!」
「よろしくお願いします!」
の流れがあり、それこそが青春だとされている。
しかし、この「付き合う」文化は本当に必要なのだろうか。

付き合うとは?

そもそも付き合うってどの段階なのか。
人によっては結婚前の恋人関係と言う人もいる。
結婚はしないけど、私だけの愛する人と言う人もいる。
結婚しないってことはいつかは別れる前提なのか?という疑問がすでに生まれるが、世の中高生はそこらへんを全く考えずに「付き合う」文化に染まっていく。
付き合うとは、結婚はしないけど、愛し合っている状態であるといえる。
この記事での私のポジションとしては、**「付き合う」文化はいらなくないか?**という立場をとっている。

付き合う文化はいつから始まったのか?

人間が生まれた当初から「付き合う」文化があったとは誰も思わないだろう。
江戸時代の将軍が妾に対して、「付き合ってください!」から交際を始めるというのも聞いたことがない。
1980年代あたりのトレンディドラマですら、「付き合う」文化はなかったらしい。
私はまだ生まれてないので知らないが、そうだったみたいだ。
では、「付き合う」という文化はどこから生まれたのか。
一説によると、1990年代に始まった「あいのり」という番組だとされている。
「あいのり」とは6人の男女が車に乗って旅をし、告白をして結ばれれば2人でそこから抜け、失敗すれば告白した方が1人で帰るという番組だ。
いわゆる、結婚はしないけど、お付き合いを初めて欲しいと言葉にすることで番組が動き出すという、「付き合う」文化を取り入れた番組である。
この「あいのり」が始まった1990年代から徐々に「付き合う」という文化が始まったという意見もある。

付き合う文化は結婚のリスクを下げることができる

私としては、この付き合うという擬似結婚的な文化は悪くないと思っている。
なぜなら、結婚してしまうと、簡単には別れることができないため、まずはお試し期間が必要だと思うからだ。
仮に「付き合う」文化がなかった場合、お互いはいきなり結婚という契約を結ぶことになる。
付き合っていないのだから、他の異性と仲良くすることもできるし、誰か1人に縛られることもないだろう。
そこからいきなり結婚という契約を結び、1人の異性だけに絞ることができるだろうか。
うまくいけば、それこそが運命の人になるわけだが、現実には結婚生活とはそんなに簡単なものではないだろう。
だからこそ、結婚まえの「付き合う」ことは良いことだと思う。

付き合ってからじゃなきゃダメという文化

だがこの「付き合う」文化には大きな欠点もあると思っている。
それが付き合ってからじゃなきゃダメ文化(付きダメとする)である。
この「付きダメ」文化によって、世の男たちは多くの苦難にあっている。
付き合わないとスキンシップが取れないため、その段階で勝負できるのは「顔」か「うわべだけの会話」のみになる。
男のフェロモンやキスやセックスの上手さというセックスアピールをすることはできないのだ。
そんな生まれ持った遺伝子とうわべのテクニックだけで、女性は付き合うかどうかを判断する。
男女が繋がりを持つのに一番大事なセックスアピールを一切隠したまま本番に挑むのはお互いにとっていささか危険である。

付き合う前と後の順番が逆ではないか?

付き合う前に中身で判断して、付き合った後に身体の相性を確認する、というのは順番が逆なのではないかと思う。
まず男女は本能で惹かれ合うべきだから、外見やフェロモンで付き合うかどうかを判断する。
お互いの身体の相性を確認した後、今後も一緒にいたいと思うのであれば付き合う。
付き合った後に、この人は家庭を大切にしてくれるかどうか、という中身を判断する。
そこまで合格して初めて結婚というスタートラインに立てるのではないかと思っている。

恋愛工学的には「付き合う」文化は不要

恋愛工学と呼ばれる恋愛メソッドで言われているのは、まず初めにセックスをするべきである。ということだ。
これは女性はセックスをした男性を好きになるから、付き合ってからでは遅いという考え方である。
これは確かに理にかなっていると思う。
この恋愛工学を元に考えてみると、やはり付き合うという文化は不要に思える。
「付きダメ」は恋愛工学に反する行為であり、付き合うという文化が存在することによって、多くの恋愛工学生を苦しめている。

最後に〜結婚すらも不要かもしれない〜

ヨーロッパでは、事実婚と呼ばれる結婚形態が流行っており、もはや結婚という契約さえも不要であるという考え方が広まっている。
人間が生まれた段階では、「付き合う」や「結婚」という概念は存在しなかったが、それでも子孫はここまで反映してきたのである。
男女の本能がぶつかり合う恋愛において、「付き合う」や「結婚」という契約は、形にならない愛情を無理やり形にする行為である。
「付きダメ」や「結婚しないと〜」という常識はここ数十年の常識であり、人間の本能レベルで考えた常識とは、
「愛する人との間の子供を生む」
これに尽きる。
そこには契約や常識、理性などは介在しないのが本来の姿である。
世の男女には、本能レベルで恋愛を楽しんでほしいものである。